文章を書いていく上で、「こそあど言葉」という、いわゆる指示語は使い方によっては非常に有用です。ただし、便利だからといってあまりに多用しすぎても、分かりにくい文章を生み出す要因になってしまうために注意が必要です。
例えば、以下の例文を読んでみてください。

「息子はテーブルの上に置いてあるポテトチップスの袋を見つけた。周りの様子をチラチラと気にしながら、それを開封した。」

この文章で指示語は「それ」となります。「それ」が指し示しているのは、「ポテトチップスの袋」ということになります。「ポテトチップスの袋」という言葉を「それ」という指示語に差し替えることで、より分かりやすい文脈になっています。

では、もしここで指示語を使わなかったらどうなるでしょうか。

「息子はテーブルの上に置いてあるポテトチップスの袋を見つけた。周りの様子をチラチラと気にしながら、ポテトチップスの袋を開封した。」

このように、短い文章の中に「ポテトチップスの袋」という言葉が二度も出てきます。これでは文章自体が長く間延びした感じになり、さらに読み手にはしつこさも感じさせるでしょう。

つまり、指示語は上手に使えば、文章をよりシンプルに分かりやすく伝えることが出来るのです。ところがあまりに指示語で溢れかえるとどうなるでしょうか。

「息子はテーブルの上に置いてあるポテトチップスの袋を見つけた。彼は周りの様子をチラチラと気にしながら、その上にあるそれを開封した。」

ちょっと極端な例かもしれません。しかし、この文章は分かりやすいと言えるでしょうか?

読み手はおそらくこの文章を読む際に、かなり頭を使わなければならないでしょう。そもそも例に挙げたのは非常に短いために、まだ意味を受け止めることは出来るかもしれません。しかし、これが小説やエッセイ、論文などの一部であったとしたらどうでしょうか。

ここでいうところの「彼」は「息子」であり、「その」は「テーブル」、「それ」は「ポテトチップスの袋」となりますが、これではまるでパズルのような文章になっています。

いわゆる「こそあど言葉」というのはちょっと離れた場所で使った言葉は指し示すために使います。もちろんすぐ近くのものを指す場合もあれば、かなり前に使われた言葉を指し示す場合もあり、使われ方は様々です。

しかし、先ほどの例文のように、指示語が至るところに飛び交っていたらどうでしょう。それはまるで糸が四方八方に張り巡らせ、どれがどれと結ばれているのか、完全にもつれてしまって分からない状態と似ています。

指示語をやたらと多用することで、文章は非常に分かりにくいものとなってしまうのです。便利だからと思わず使ってしまいがちになる指示語ですが、適材適所に使い、あまり多用しすぎないことで、すっきりとした読みやすい文章に仕上がっていきます。便利な指示語だからこそ、有効活用すれば、もっと生きた文章を作り出すことが出来るのです。