あなたが何かしらの文章を読むとなったとき、途中で思わず読むことをやめたくなる文章には、どのような特徴があるでしょうか。多くの方が挙げる特徴として、「読んでいても、何だか小難しくて良く意味が分からない」とか、「わけの分からない言葉ばかりで、何が言いたいのか分からない」といったことがあるでしょう。

そういった文章を読むことは、これから自分自身が文章を書くにあっては、きっと反面教師となるでしょう。つまり、難しすぎて何が言いたいのか分からない文章になっている原因は何かを考えて、誰が読んでも理解してもらえるように分かりやすくなるように配慮することがポイントです。

では、分かりやすい文章にするとは具体的にどのような点に気を付ければ良いのでしょうか。

まず、上手く文章を書きたいという気持ちが強すぎる方に多いのが、漢字を多用するということです。書いている本人からすれば、多くの漢字を使用することで、文章をより格調高いものに、また説得力のあるものに出来るとお考えかもしれません。

ところが、漢字ばかり、とりわけ難しい熟語ばかりを書き並べたような文章は、ただただ読むことに疲れを感じ、意欲も削いでしまいかねません。また、いちいち辞書を引いて意味を調べなければ分からないようでは、真意が伝わることはないでしょう。

これはカタカナ語に関しても同じことが言えます。昨今はとりわけ、今までは日本語で表現していたものをあえてカタカナ語にしてみたり、日本語に該当する言葉がないためにカタカナ語で補完するという表現を良く見かけます。

しかし、これらも広く一般的に認識されていなければ、文章の中で取り入れたとしても読み手には伝わりません。例えば、「ストラテジー」や「プロパガンダ」、「イニシアチブ」などなど、様々な業界でまるで専門用語のように使われている傾向があります。

こういったカタカナ語を交えながら説明すれば、確かに文章として知性が溢れてくると思う方もいらっしゃるかもしれません。しかし、読み手からすれば、分かりにくいカタカナ語を交えられると、その文章自体がグレーで、何が言いたいのか理解できないという印象を受けることでしょう。

これは何も難しい漢字を含んだ熟語やカタカナ語、専門用語に限ったことではありません。若者が使っている流行語や、友達うちでしか通用しないような言葉も含まれています。このような類の言葉は、友達同士でのメールのやり取りや同世代の親しい人に手紙を書くときには問題ないでしょう。しかし、例えば論文のような公式な文章では避けなければなりません。

誰かに読んでもらうための文章は、ターゲットになる方に分かってもらえるように書かなくてはなりません。そのターゲットが老若男女問わず、幅広い方々が該当する場合はとりわけ、誰にでも理解してもらえるように分かりやすい言葉で綴ることが大切です。あくまでも、自分自身の真意を分かりやすく伝えようとする姿勢こそが大切なのです。