物事が飽きる原因とは何でしょうか?

それは、同じリズムで単調であることも、その答えの1つといえるでしょう。いわゆるルーティンワークと呼ばれるものですが、ひたすらに同じことを繰り返すような一本調子では、いくら忍耐強い人でも飽きてしまうことでしょう。そして、だらだらとやたら長くて、時間ばかりかかってしまうこともそうでしょう。単調で間延びしてしまうと、誰でも「もう良いや」となってしまいます。

最近はテレビ番組を見ていても、「3時間スペシャル!」などと、同じ番組を特番として長時間にわたって放送するケースが増えています。これは見る側、つまり視聴者からすれば、最初は面白いかもしれません。しかし、その番組そのものに変化がなく、同じことばかり繰り返していると、チャンネルを変えるか、テレビそのものを消してしまうことでしょう。

人は飽きっぽいという特徴があります。その一方で変化を好むと言う特徴もあります。そもそも、人が物事に対して「飽きる」原因は、同じことが繰り返されたり、長く間延びしたりということが挙げられますが、実は文章においても同じことが言えます。

例えば、あなたが本を読んでいたとしましょう。最初のうちは「面白い」と思っていたものが、中盤になってくると、「もう飽きた」と思ってしまうものもあることでしょう。それはなぜかと言えば、「これってページ稼ぎなんじゃないの?」と思うような間延びするような表現があったり、時系列が現在と過去の行ったり来たりだったり…つまり、同じようなことを繰り返してしまうと、読み手側はやがて飽きを感じてしまうのです。そうなると、せっかく書いた文章も、最後の方は日の目を見ないまま終わってしまうことになります。

例えば、以下の文章を読んでみてください。

「最近、眠れない日が続いている。睡眠時間が2時間程度の日が続いている。昼間に眠気が襲ってくることが続いている。」

このように語尾がまったく同じ文が、いくつも続いているとどう感じますか。すべて「続いている」で終わっており、リズムは全て一緒になっています。これだけと、読み手側はくどさを感じる方もいらっしゃるでしょうし、何度も同じことを言うことで飽きてしまう方もいらっしゃるでしょう。いずれにしても、あまりこの文章に良い気分を抱かないと思います。

単調な文末は読み手に飽きを感じさせます。それはリズムが同じで、単調になってしまうためです。読むと言う行動はおのずと時間がかかってしまいます。そのため、少しでも単調だと感じさせてしまうと、「もうやめた!」という気分にさせてしまいやすくなるのです。

先ほどの例文を以下のように変えてみましょう。

「最近、眠れない日が続いている。睡眠時間も2時間程度だ。だから、どうしても昼間に眠気が襲ってしまう」

これだけで、ずいぶんと文章の印象が変わったのではないでしょうか。文末表現を少しでも変えるだけで、これだけリズムは変わってきます。そして、出来るだけ一文を短くすることでも、読み手にリズムを与えます。相手に読んでもらうことを意識するのであれば、相手にいかに飽きさせないか…そのためには単調な表現や、だらだらと間延びをするような記述を避け、メリハリをつけることがポイントとなるのです。