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上手い文章はまず相手の心に深く印象付けることができる!

上手な文章というのは、その文章の中にある筆者の主張はっきりと書かれており、しかも相手にそれを深く印象付けることが出来るものです。文章は相手に何かを伝えるために書くものであり、その主題がぼやけ、何が言いたいのか分からないようだと、本来の目的を果たせていないことになります。

では、読み手に自分自身の主張を印象付けるためにはどうすれば良いのでしょうか。実現するためには、文才が必要だと思われるかもしれませんが、けしてそんなことはありません。相手の心に深く印象を与える文章にするにはいくつかのポイントがあるのです。

まずは、文章の出だしです。「起承転結」の「起」と部分ですが、ここでは問題提起をするという方法もありますが、いきなり結論を書いてしまうのも方法の1つです。まずこの文章は何のためにあり、何を主張したいかを冒頭で明確にしておくのです。「これから、この主張に関して書いていきます」という宣言をすることで、読み手はそのことを念頭に置いた上で、読み進めることが出来ます。

「起」の部分については、けして長く説明する必要はありません。長々と文章が連なっていては、どれが主張になるのかが見えづらくなります。「木を隠すなら森の中」という言葉がありますが、主張を森の中に入れてしまっては、本当に大切な木が見えなくなってしまいます。冒頭で結論を書く場合は、出来るだけ主張を短く、要点をまとめてずばりと言い切ることが大切です。

次に、文章はただ単に結論を冒頭に書けば、自分自身の主張を印象付けることが出来るというわけではありません。まず、冒頭で「これからこの結論のことを書きます」という宣言に過ぎません。結論だけを書いても、それには中身がないため、相手を説得することは出来ないのです。説得するためには具体的な例を書き、その例から結論に至った…という流れで説明していく必要があります。

まず結論を書く…これが「起」の部分ですが、「承」と「転」の部分でより具体的に書いていきます。冒頭で結論を相手に印象付けているため、ここからその結論を納得させることが出来るかは、具体的に書くこの部分の出来にかかっています。ただ、肩に力を入れる必要はありません。どうして結論のように思ったのかを、時系列でも良いですし、具体的なデータを用いてもかまわないので、説明することが大切です。

そして、締めとして、具体例から、やはりこの結論に至ったということを綴ります。文章において一番言いたい部分は、必ず断定の表現で書くことが大切です。ぼんやりした形で書いてしまうと、どうしても相手の心には深く刻み込むことが出来ませんし、それ以前に、結論であることすら分からなくなってしまいます。結論はしっかりと断定して、強く書くことで、読み手に「これが私の主張だ」とより深くインパクトを与えることが出来るのです。

以上のような点に注意すれば、相手に主張を伝える文章に仕上げることが出来ます。何も細かな文法にこだわる必要はないのです。自分が出した結論を強く主張するとともに、それに至るまでの理由やデータなどを並べる…それによって、相手を納得させることができれば、上手い文章であると言えます。

こそあど言葉…あまり多用すると文章が伝わりにくくなる

文章を書いていく上で、「こそあど言葉」という、いわゆる指示語は使い方によっては非常に有用です。ただし、便利だからといってあまりに多用しすぎても、分かりにくい文章を生み出す要因になってしまうために注意が必要です。
例えば、以下の例文を読んでみてください。

「息子はテーブルの上に置いてあるポテトチップスの袋を見つけた。周りの様子をチラチラと気にしながら、それを開封した。」

この文章で指示語は「それ」となります。「それ」が指し示しているのは、「ポテトチップスの袋」ということになります。「ポテトチップスの袋」という言葉を「それ」という指示語に差し替えることで、より分かりやすい文脈になっています。

では、もしここで指示語を使わなかったらどうなるでしょうか。

「息子はテーブルの上に置いてあるポテトチップスの袋を見つけた。周りの様子をチラチラと気にしながら、ポテトチップスの袋を開封した。」

このように、短い文章の中に「ポテトチップスの袋」という言葉が二度も出てきます。これでは文章自体が長く間延びした感じになり、さらに読み手にはしつこさも感じさせるでしょう。

つまり、指示語は上手に使えば、文章をよりシンプルに分かりやすく伝えることが出来るのです。ところがあまりに指示語で溢れかえるとどうなるでしょうか。

「息子はテーブルの上に置いてあるポテトチップスの袋を見つけた。彼は周りの様子をチラチラと気にしながら、その上にあるそれを開封した。」

ちょっと極端な例かもしれません。しかし、この文章は分かりやすいと言えるでしょうか?

読み手はおそらくこの文章を読む際に、かなり頭を使わなければならないでしょう。そもそも例に挙げたのは非常に短いために、まだ意味を受け止めることは出来るかもしれません。しかし、これが小説やエッセイ、論文などの一部であったとしたらどうでしょうか。

ここでいうところの「彼」は「息子」であり、「その」は「テーブル」、「それ」は「ポテトチップスの袋」となりますが、これではまるでパズルのような文章になっています。

いわゆる「こそあど言葉」というのはちょっと離れた場所で使った言葉は指し示すために使います。もちろんすぐ近くのものを指す場合もあれば、かなり前に使われた言葉を指し示す場合もあり、使われ方は様々です。

しかし、先ほどの例文のように、指示語が至るところに飛び交っていたらどうでしょう。それはまるで糸が四方八方に張り巡らせ、どれがどれと結ばれているのか、完全にもつれてしまって分からない状態と似ています。

指示語をやたらと多用することで、文章は非常に分かりにくいものとなってしまうのです。便利だからと思わず使ってしまいがちになる指示語ですが、適材適所に使い、あまり多用しすぎないことで、すっきりとした読みやすい文章に仕上がっていきます。便利な指示語だからこそ、有効活用すれば、もっと生きた文章を作り出すことが出来るのです。

複雑だったり冗長だったり…分かりやすい文章を書くにはNG!

何のために文章を書くかといえば、それは相手に真意を伝えるためです。評論やエッセイ、メールなどは相手に自分自身の気持ちや考えを伝える一方で、小説は主人公の気持ちや最終的な結末を相手に伝えています。相手に思いや考えを伝えられてこそ、文章は意味を成すのです。逆に、どんなに文法や表現に凝っていても、意味が伝わらなければ、上手い文章とは言えません。

では、どうすれば相手に伝わる文章が書けるか…それは例えば、あなたが誰かに注意を受けている状況を想像してみて下さい。

相手にスパッと欠点を指摘されるのと、回りくどい説明であなたの至らない部分を指摘されるのと、どちらが心に響くでしょうか。いくら正しいことを言っていたとしても、その説明が回りくどく、聞いているうちに何が言いたいのか分からなくなってしまったのでは、まったく意味がありませんし、時間の無駄となります。

実は文章でも同じなのです。話し言葉か文字にするかの違いであって、ただただ冗長な文章だと、かえって相手に本当に言いたいことが伝わらなくなります。丁寧に説明しようとしているつもりでも、本当に言いたいことが伝わらなければ、意味を成さないのです。

では、この点を踏まえて、文章を書くにあたって、どんな点に気をつければ良いのでしょうか。

まずは、1つの文がやたらと長くなりすぎないように注意することです。文は始まりから句点までのことを指します。基本的に文は主語と述語がセットになり、その間に補足的に様々な言葉が羅列された構造になっています。主語と述語さえわかれば、最低限の内容は分かるように出来ているのが文であり、多くの文が連なって1つの文章になっていきます。

1つの文が読点でどんどんつながり、何行にもまたがっていると、読み手はその文の主語と述語が何なのかが分かりにくくなります。文の中で肝となる部分が見えにくくなると、どうしても基本がつかめずに読み手を悩ませてしまいます。そうなると、自然と読み手の心は文章から離れてしまうのです。

このことは文に限ったことではありません。文章はズラリと文が並んでいますが、段落ごとにも区切られています。段落単位でテーマを持っており、新たな話題やテーマを盛り込む場合は、次の段落で話を進めていきます。

段落はあくまでも1つの話題について取り上げるために設けるもので、文と同じようにあまり長すぎると、その段落が何を説明しようとしているのかが分かりにくくなります。段落ごとに書き手が伝えようとしていることが、読み手に伝わらなければ、段落そのものが意味を成さなくなります。

段落にいろんな話題を盛り込んでしまうのも、段落としての役割が果たせていないことになります。手頃な長さに抑えて、コンパクトにまとめてこそ段落がいきてくるのです。

文章を作る際には、文そのものも、そして段落についても、あまり冗長になりすぎると、正確に真意が伝わらなくなることを頭に入れておきましょう。コンパクトにまとめる、意味や内容の転換部分できちんと区切る…これだけでも文章は飛躍的に上手くなります。

メリハリをつけると読み手を飽きさせない文章になる!

物事が飽きる原因とは何でしょうか?

それは、同じリズムで単調であることも、その答えの1つといえるでしょう。いわゆるルーティンワークと呼ばれるものですが、ひたすらに同じことを繰り返すような一本調子では、いくら忍耐強い人でも飽きてしまうことでしょう。そして、だらだらとやたら長くて、時間ばかりかかってしまうこともそうでしょう。単調で間延びしてしまうと、誰でも「もう良いや」となってしまいます。

最近はテレビ番組を見ていても、「3時間スペシャル!」などと、同じ番組を特番として長時間にわたって放送するケースが増えています。これは見る側、つまり視聴者からすれば、最初は面白いかもしれません。しかし、その番組そのものに変化がなく、同じことばかり繰り返していると、チャンネルを変えるか、テレビそのものを消してしまうことでしょう。

人は飽きっぽいという特徴があります。その一方で変化を好むと言う特徴もあります。そもそも、人が物事に対して「飽きる」原因は、同じことが繰り返されたり、長く間延びしたりということが挙げられますが、実は文章においても同じことが言えます。

例えば、あなたが本を読んでいたとしましょう。最初のうちは「面白い」と思っていたものが、中盤になってくると、「もう飽きた」と思ってしまうものもあることでしょう。それはなぜかと言えば、「これってページ稼ぎなんじゃないの?」と思うような間延びするような表現があったり、時系列が現在と過去の行ったり来たりだったり…つまり、同じようなことを繰り返してしまうと、読み手側はやがて飽きを感じてしまうのです。そうなると、せっかく書いた文章も、最後の方は日の目を見ないまま終わってしまうことになります。

例えば、以下の文章を読んでみてください。

「最近、眠れない日が続いている。睡眠時間が2時間程度の日が続いている。昼間に眠気が襲ってくることが続いている。」

このように語尾がまったく同じ文が、いくつも続いているとどう感じますか。すべて「続いている」で終わっており、リズムは全て一緒になっています。これだけと、読み手側はくどさを感じる方もいらっしゃるでしょうし、何度も同じことを言うことで飽きてしまう方もいらっしゃるでしょう。いずれにしても、あまりこの文章に良い気分を抱かないと思います。

単調な文末は読み手に飽きを感じさせます。それはリズムが同じで、単調になってしまうためです。読むと言う行動はおのずと時間がかかってしまいます。そのため、少しでも単調だと感じさせてしまうと、「もうやめた!」という気分にさせてしまいやすくなるのです。

先ほどの例文を以下のように変えてみましょう。

「最近、眠れない日が続いている。睡眠時間も2時間程度だ。だから、どうしても昼間に眠気が襲ってしまう」

これだけで、ずいぶんと文章の印象が変わったのではないでしょうか。文末表現を少しでも変えるだけで、これだけリズムは変わってきます。そして、出来るだけ一文を短くすることでも、読み手にリズムを与えます。相手に読んでもらうことを意識するのであれば、相手にいかに飽きさせないか…そのためには単調な表現や、だらだらと間延びをするような記述を避け、メリハリをつけることがポイントとなるのです。

分かりやすく伝えるためにあまり使わない方が良い表現とは?

文章は何のために書くか…その答えは相手に自分自身の意見を伝えるためです。それは評論やコラム、エッセイ、小説、手紙などなど、文章には数多くのジャンルがありますが、すべてにおいて文章を書く目的は同じです。

そのため、文章はせっかく書いても、相手に真意が伝わらなければ意味のないものになります。相手に自分自身の言いたいことが伝わる文章は、本来の目的を果たせるものになるというわけです。

正しく相手に真意が伝えるためには、読み手に気持ち良く読んでもらうこと、そして誰が読んでも分かってもらえる内容であることが大切です。そのためには、実はあまり使わない方が良いフレーズや言い回しがあります。

例えば、カタカナ語はその1つです。

いわゆる横文字とも表現されますが、一部の専門分野の方だけが分かるような言葉を、多くの一般の方が読むような文章に多用してしまうと、読み手は意味が分からず、読むという意欲も失ってしまいます。例えば、次のような文はどうでしょうか。

「現在の進捗状況は非常にビジーであるため、タスクを精査した上でプライオリティを付け直す必要がある。」

IT系の業界では良く使われる言葉ばかりです。その業界に所属していれば、すらすらと理解出来るかもしれません。もし、この文を専門知識のある方だけに向けて書くのであれば、特に問題はないでしょう。しかし、そうでない人も読むという場合、どれだけ理解してもらえるでしょうか。

このような事例は何も横文字だけではありません。難しい熟語ばかりを書き並べると、何やら高尚な文章のように見えてきます。しかし、そのことで読み手に書いてある文章の意味が伝わらなければ、目的は果たせません。

場合にもよりますが、横文字は日本語で該当する表現があれば、出来るだけ使わないようにし、熟語も誰もが知っているような、もっと分かりやすい言葉に置き換えるだけで、読み手に真意が伝わりやすくなります。

さらに、もう1つ、出来るだけ使わない方が望ましい表現として、「もうご存知のことかと思うが」とか、「常識であるが」などといったものがあります。

このような書き出しで文章を始めると、それに続く内容は、読み手は必ず知っているべきことで、知らなければ常識のない人であると、暗に読み手の知識を問うているかのように受け取られてしまいます。これによって、読み手は「バカにしてるのか」と怒りを感じる方もいれば、「分からないから、もう良いや」と、これ以上、先の文章を読んでもらうことすら出来なくなりかねません。

文章は最後まで読んでもらい、真意が伝わってこそ、その目的を果たせます。小難しい言葉を書き並べると、もっともらしい仕上がりになるかもしれませんが、相手を煙に巻いても仕方がありません。分かりやすい言葉で、相手の目線に立って、順序立てて文章を展開していってこそ、上手い文章に仕上がっていくのです。使わない方が望ましい言葉や表現を頭に入れて、分かりやすく伝えることを意識して、文章を書いてみましょう。

文章を書くときの基本…起承転結を意識してみよう

文章を書くことに少しずつ慣れてきたら、徐々に構成を考えていくようにしましょう。何事にも言えることですが、段取りをしっかり組み立てて、順序立てて展開していくことで、スムーズな流れで物事を進めていくことが出来るようになります。

例えば、部屋を掃除する際にどのような段取りで行うでしょうか。掃除機をかけてから、はたきでホコリを落とす…こんな矛盾した段取りをしていては、何度掃除機をかけても、部屋はきれいになりません。段取りを組み立てなければ、物事の流れは滞ってしまいます。

文章における構成は、段取りに該当するでしょう。読み手に内容を理解してもらうためには、どのような手順を踏んでいけば良いかという組み立てを行っていく必要があります。正しい手順で書かれた文章はとても読みやすく、書き手の主張を感じ取れるようになるのです。

文章の構成といえば、「起承転結」という言葉を思い出す方も多いかと思います。起承転結とは、ざっくりといえば、まず問題提起や結論から入り、具体例を挙げ、違う視点から見て、最後に結論で締めるという文章構成を指します。このような流れで文章を展開していけば、読み手にも結論が伝わりやすくなるというものです。

起承転結の流れは、よく4コママンガに例えられます。わずか4つのイラストしかない中で、話を切り出し、そこからの流れの中で筋道が転換し、最後にオチがあります。4つのコマのそれぞれが起承転結となるという役割を担っているのです。

文章を書く際に、やはり何から書き始めるかは、非常に重要となります。読み手は最初の文章を見て、興味を持って、先の話を読むか、それとも読むのをやめてしまうかを決めるといっても過言ではありません。それだけ起承転結の「起」で読み手の心をつかめるかが重要となります。

そしてもちろん「結」も重要です。読み手はあなたの書いた文章を、貴重な時間を割いて読んでくれたわけです。最後まで読んで良かったと思わせるためにも、締めはきっちりと書く必要があります。「起」の部分と結びつき、終始一貫した考えの下で書かれているかどうか、最後のだめ押しをする部分でもあり、文章のクライマックスなのです。

もちろん文章には具体性を伴わなければなりません。結論ばかりの押し付けは読み手に窮屈な気持ちを与えてしまいます。そのため、結論に至るための様々な材料を用意する必要があります。これが「承」であり「転」なのです。この2つは何も別々に意識しなくとも、1つにまとめても文章の構成としては違和感を与えることはありません。

このように文章にも流れや段取りが必要です。相手に興味を持ってもらうとともに、筋道を立てて、結論に至るまでの過程を説明し、最後に結ぶ…書くということに慣れてきたら、こういった文章の構成にも意識を張り巡らしてみましょう。すると、あなたの文章はきっと、さらに読みやすく、相手に伝えることができるものになるはずです。

分かりやすく書くということは相手に語り掛けるように書くこと

これから文章を書くというときに、あなたはどのような心構えでペンを取るでしょうか?

文章を書くことに苦手意識がある方や、あまり文章は上手くないんだけど…と不安になる方に多いのは、「きれいな文章を書かなくてはならない」と、自分自身に余計なプレッシャーを与えてしまうことにあります。キレイな文章を書こうと思うと、それだけで肩に力が入りやすくなるものです。そして、何から書き始めたらいいのか分からなくなってしまいます。

そもそも文章は何のために書くのかといえば、それは読み手に自分が言いたいこと、意見を伝えるためでしょう。にもかかわらず、きれいな文章を書くために、何から書き始めたらいいのかまったく分からなくなってしまうと、完全に支離滅裂な状態になってしまいます。なぜなら、自分が何を言いたいのかも分からないのに、相手には分かるはずもないわけですから。

あなたは日頃から、会話をするときにどのようなことを考えながら話しているでしょうか?友人や家族と会話するに当たって、いちいち話す内容の構成を頭の中で考えて、伝わりやすいように気を配っているでしょうか?

けしてそのようなことはないはずです。プレゼンなどのフォーマルな場面では、事前に伝えるべき内容を考えた上で話を進めることもあるでしょう。しかし、日常会話の中ではなかなか構成を考えて話すということはありません。それでも相手に自分が言いたいことは伝わるものなのです。

文章を書くときも、会話をするときと同じであると考えることが大切です。これから文章を書くけれども、何から伝えたらいいのか…ということを考えるのではなく、何を伝えたいのかという目的をはっきりさせておく。そして自分はこういった理由で結論に至ったということを説明するのです。結論さえはっきりしていれば、そこから先は相手に話しかけて説明するように書くのです。

しゃべるように書くことは、相手に内容をしっかり伝えるために、非常に重要なポイントです。最初からいきなり「起承転結」を考えて書き始めるより、自分がこの文章を通して言いたいことを含めて、相手に説明するように書き進めていくことで、実は自然と読み手に自分の真意を伝えられるような文章が出来上がっていくのです。

自分自身が相手に話しかけるようにすらすらと書く…このようにリズミカルに文章を書いていくこともまた重要です。すらすらと書き進めることが出来るということは、相手にどのような事を伝えるべきか、自然と頭の中で構成が成されていることを意味します。最初から構成のことを考えていては、ペンはまったく進んでいきません。

まずはリズミカルに書くことを楽しむようにしましょう。そのリズムに乗るためには、相手に語りかけるように書くことです。頭の中で相手へ話しかけるように、ペンを進めていけば、自然と文章が次々と紡ぎだされていくようになります。構成は推敲する際に考えればいいのであって、まずはしゃべるように書いていくことで、自分の言いたいことがどんどん整理され、洗練された文章を作る第一歩を踏み出すことが出来るのです。

「である」か「です」か…文章を書く上での使い分け方とは?

文章を書く際に、ちょっとしたことで相手に与える印象が大きく変わる場合があります。それは文末を「である。」にするか、「です。」、「ます。」にするかということです。

例えば、2つのパターンを読み比べてみて下さい。

「近年は異常気象だと言われている。ゲリラ豪雨や大型台風が発生したというニュースを耳にすることもしばしばある。だからこそ、日頃から防災に気を配る必要がある。」

「近年は異常気象だと言われています。ゲリラ豪雨や大型台風が発生したというニュースを耳にすることもしばしばあります。だからこそ、日頃から防災に気を配る必要があります。」

読み比べてみて、どのような印象を受けたでしょうか。前者は「である。」という文末が基本となっていますが、断定的でリズムがあると感じる一方で、ぶっきらぼうな印象を抱く方もいらっしゃるでしょう。一方で後者は同じ内容であっても、優しくくだけた言い回しに聞こえますが、説得力に欠けるというイメージを抱く方もいらっしゃるかもしれません。

「である。」調にするか、「です。」「ます。」調にするか…それはケースバイケースであり、文章を書く際に決めれば良いことであって、特段ルールがあるわけではありません。ただ一般的には論文やレポートのときには「である。」調で、手紙やエッセイなどは「です。」「ます。」調を使います。

ただし、文章を書く上の文末表現について、注意すべき基本的なポイントがあります。

まずは、「である。」調と「です。」「ます。」調を文章の中で混在させないことです。例えば、先ほど挙げた例文では、以下のようなケースが当てはまります。

「近年は異常気象だと言われている。ゲリラ豪雨や大型台風が発生したというニュースを耳にすることもしばしばあります。だからこそ、日頃から防災に気を配る必要がある。」

このように文末表現がバラバラになっていると、文章全体に統一感がありません。また、これだけのことで文章が下手で稚拙であるという印象を植え付けてしまうのです。

また、もう1つのポイントとしては、文末をあまり揃えすぎないことが挙げられます。以下を比べてみてください。

「和食は日本人の身体に適している。日々の食事の中で積極的に和食を取り入れるべきである。」

「和食は日本人の身体に適している。日々の食事の中で積極的に和食を取り入れるべきだ。」

いずれも「である。」調のスタイルで書かれた文章です。しかし、2文目の文末に注目してみましょう。前者は「べきである。」、後者は「べきだ。」と結んでいます。

しかし、前者は1文目の文末も「いる。」で結んでいるため、全体に変化のない文章になっているのに対して、後者は2文目を「だ。」で結ぶことで、全体にリズムを与え、読み手を飽きさせない工夫につながります。

ほんのちょっとしたことに感じるかもしれません。しかし、文末に気を配って文章を書いてみると、じっくり読み返してみたときに、読みやすさの違いを感じることでしょう。

文章の説得力は結論ではなく、具体例から生まれる!

文章とはそもそも何のために書くのか…それは自分の伝えたいことを相手に伝えるためです。自分の伝えたいことを伝えるためには、だらだらと長く、回りくどく説明するのではなく、まずは文章の始めにストレートに結論を語ることで、相手に自分自身の考えをストレートに植えつけることが出来ます。

しかし、結論だけをズバッと言い切っても、それで相手は納得してくれるでしょうか。「あぁ、そうなんだ…」で終わってしまうかもしれません。なるほどと思わせるためには、その結論に至るまでの考え方を相手に説明する必要があります。結論だけを主張しても、それは自分自身の考えを相手に押し付けるだけであって、相手は納得してくれません。その結論を分かってもらうためには、具体的な材料が必要となってくるのです。

例えば、まず「私は引っ込み思案である」と結論付けたとしましょう。それだけを聞けば、相手は何を思うでしょうか。「あぁ、引っ込み思案なんだね。で、それが何か?」となり、それで会話は終わってしまいます。相手に興味を持ってもらうためには、どういった点で引っ込み思案だという結論に至ったのかの具体的なエピソードが必要となってくるでしょう。「小学生の頃、授業中に先生から質問されて、答えが分かっていても、怖くて手を挙げることができなかった」…といったような、自分なりに引っ込み思案だと感じたエピソードを紹介することで、相手に自分は引っ込み思案であることを納得してもらうのです。

結論を言うだけではなく、なぜその結論に至ったのかというプロセスが重要になります。結論を先に言えば、確かに相手には自分自身が最も伝えたいことは分かりますが、だからといって、その結論と自分自身とが相手には結びつかないのです。結びつけることで説得につながっていきます。結び付けの作業こそが、具体例を挙げるということになります。

具体例には様々あります。例えば、その結論に至る際に、数字を挙げた方が分かりやすい側面もあります。「我が家の家計は光熱費を抑えることで、貯蓄が出来るようになった。計算してみると、昨年と比べて電気代は年間で3万円、水道代も年間で1万円抑えることが出来た。お陰で家族旅行を楽しめた」という例があります。この例の場合、光熱費を抑えたのは、電気代と水道代を年間で4万円抑えることが出来たからということが分かります。

もし、先ほどの例で数字がなかったらどうでしょうか。「我が家の家計や光熱費を抑えることで、貯蓄に回せるようになった。昨年に比べて電気代と水道代を節約できた」…これでは、果たしてどの程度節約できたのか、そして節約したお金をどうしたのかという、疑問に感じるであろうポイントがまったく書かれていないために、相手に上手く伝えることができないのです。

このように結論に至った要因を具体的に並べていき、それとともに誰もが疑問に感じるであろうことも合わせて説明していくことで、相手への説得力は一気に高まります。結論を述べた上で、その具体例やエピソードなどを、必要ならば数字も交えながら述べていくことで、文章はより相手に伝わりやすく、受け入れられやすいものになっていくのです。

長ければ良いわけじゃない!言いたいことは短くすっきりと

相手にわかりやすく伝える文章を書くためには、「こういう書き方をすれば、読む気も失せちゃうだろうな…」というような書き方をしないことが重要です。自分で読んでみて、これはあまり文章として何が伝えたいのか、ぼんやりとしていて分かりにくくなっていると感じるのであれば、それは誰が読んでも同じことでしょう。

そこで文章を上手く書くために必要なポイントとして、その文章の中で言いたいことは、ズバッと短文で伝えるということです。

文章を書いていると、あれも伝えたい、これも伝えたい、この具体例も書いておきたい…といったように、どんどんと内容が膨らんでしまいがちです。そうなってくると、徐々に文章全体として、何を伝えようとしているのかが分かりづらくなってしまうのです。余計な文章が分得てしまうと、本当に大切なものが見えなくなってしまうのです。

例えば、それは整理整頓でも同じことが言えます。机の引き出しに、文房具やノートなど必要なものがきちんと整理されている上に、余分なものが一切入ってない状態で、あなたが今必要としているものを取り出す際、すぐにそのものを取り出すことが出来るでしょう。一方で、机の引き出しの中はばらばらで無秩序な状態だと、今探しているものはなかなか見つからないでしょう。

分かりにくい文章というのは、ばらばらで秩序のない机の引き出しのようなものなのです。整理されていないから、大切なものが見つかりにくくなります。これはつまり、文章に置き換えれば、本当に言いたいことが何なのかがぼやけてしまい、本質を伝えることができなくなってしまっているということになります。これではいくら表現を工夫したとしても、文章としての意味を成しません。

言いたいことを詰め込もうとして、どんどん文章や段落が長くなってしまうと、読み手側は文章を読むことに飽きてしまいます。だらだらと長く続くだけで、何が言いたいのか分からない文章は、読み手の読みたいと言う気持ちを萎えさせてしまうのです。これでは言いたいことを伝える以前に、相手に耳を貸してもらえないと言う自体を招いてしまうだけです。

冗長な文章は、けして良い結果を招きません。次から次へと言いたいことを羅列していても、やはり相手からすれば、読むことに疲れてしまいます。どんどんボールばかり投げ込まれてしまうと、読み手はそのボールを受け止めることが出来なくなり、やがて受け止める意欲も失わせてしまうのです。

つまり、文章を上手に書くポイントとして、まずは言いたいことをズバッと書く…つまり、あなたの最終的な意見を冒頭で短文で書くということです。その理由については後ほど、具体例を挙げるなどして、あまり冗長になり過ぎないような配慮をしながら書き進めていきます。本題がぼやけないようにするために、あまり文章が冗長になり過ぎないように、言いたいことや本質をズバッと突いて、相手に印象付けておくと、あなたの文章は見違えるほど、伝えたいことが伝えられるものになることでしょう。

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