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最後はやっぱり慣れ!いっぱい文章を書いて、コツをつかもう

文章を書く機会というのは、パソコンや携帯電話などの普及によって、一昔前よりも増えているのではないでしょうか。他人が書いた文章に接する機会も増えていると思います。逆に言えば、自分自身が書いた文章を誰かに読んでもらう機会も自ずと増えているということになります。

人目につくことが増えたからこそ、文章を上手に書きたいという方も多いのではないでしょうか。しかし、文章は個人のセンスによるところも多分にあるのですが、一朝一夕に上手になるというものではありません。いきなり書いて、上手に書ける人も中にはいるかも知れませんが、多くの場合は読みにくかったり、何が言いたいのか分かりにくかったりといった文章になりがちです。

文章が上手になるコツは細かいことを言えば、とにかくたくさんあります。起承転結のような文章全体を見渡した構成…つまり、マクロ的な要素もあれば、助詞や接続語など文法…つまり、ミクロ的な要素もあります。

しかし、これから上手に文章を書けるようになりたいというのであれば、先に挙げたような文章を上手に書けるポイントを1つ1つ考えながら書いていたのでは、まずペンが進まないでしょう。規則に捉われてしまって、肝心の文章を書く目的が疎かになってしまうのです。

そもそも文章を書く目的は何か…それは文章を通して読み手に真意を伝えるということです。文法のような細かい部分まで気にしながら書いていると、本来の文章の目的に目が行き届かずに、ぼんやりとした仕上がりになってしまいます。

では、文章が上手になるためにはどうすれば良いか…それは、とにかく何度も文章を書いて慣れていくことです。何についても当てはまることですが、文章を書くことについても、最終的には「習うより慣れろ」なのです。

とにかくまずは文章を書いてみましょう。上手く書けなくても、文法的に間違っていても、まったく気にしないことです。思うがままに書いてみる…文章を誰かに読んでもらう必要もなく、さしあたり日記から始めても良いでしょう。とにかく日常生活の中で文章を書くという機会を作るということが大切です。

次に、書いた文章を読み返してみましょう。分かりやすく自分自身が伝えたいことが書かれてますか。起承転結のような文章の構成はどうでしょうか。また、この部分は必要ないかも…といった箇所はありませんか。細かいところまでチェックしてみましょう。

ここでチェックしたことは、次回に文章を書く際に参考になるかと思います。だからといって、改めて文章を書く際にはあまりそこに縛られないようにすることが大切です。細かい部分まで気にしていると、また頭でっかちになり、ペンが止まってしまう原因となります。

まずはとにかく書いてみること。そして、習慣化していくことで、徐々に体や頭が、自然と文章構成を考え、ペンを走らせてくれるようになります。上手に文章を書くためには、あれこれと書き方を学ぶよりも、それを頭の片隅に入れながらも、ひとまず書いてみる、そしてそれを習慣化することが大切です。

小難しい熟語、そして分かりにくい横文字は出来るだけ避ける!

あなたが何かしらの文章を読むとなったとき、途中で思わず読むことをやめたくなる文章には、どのような特徴があるでしょうか。多くの方が挙げる特徴として、「読んでいても、何だか小難しくて良く意味が分からない」とか、「わけの分からない言葉ばかりで、何が言いたいのか分からない」といったことがあるでしょう。

そういった文章を読むことは、これから自分自身が文章を書くにあっては、きっと反面教師となるでしょう。つまり、難しすぎて何が言いたいのか分からない文章になっている原因は何かを考えて、誰が読んでも理解してもらえるように分かりやすくなるように配慮することがポイントです。

では、分かりやすい文章にするとは具体的にどのような点に気を付ければ良いのでしょうか。

まず、上手く文章を書きたいという気持ちが強すぎる方に多いのが、漢字を多用するということです。書いている本人からすれば、多くの漢字を使用することで、文章をより格調高いものに、また説得力のあるものに出来るとお考えかもしれません。

ところが、漢字ばかり、とりわけ難しい熟語ばかりを書き並べたような文章は、ただただ読むことに疲れを感じ、意欲も削いでしまいかねません。また、いちいち辞書を引いて意味を調べなければ分からないようでは、真意が伝わることはないでしょう。

これはカタカナ語に関しても同じことが言えます。昨今はとりわけ、今までは日本語で表現していたものをあえてカタカナ語にしてみたり、日本語に該当する言葉がないためにカタカナ語で補完するという表現を良く見かけます。

しかし、これらも広く一般的に認識されていなければ、文章の中で取り入れたとしても読み手には伝わりません。例えば、「ストラテジー」や「プロパガンダ」、「イニシアチブ」などなど、様々な業界でまるで専門用語のように使われている傾向があります。

こういったカタカナ語を交えながら説明すれば、確かに文章として知性が溢れてくると思う方もいらっしゃるかもしれません。しかし、読み手からすれば、分かりにくいカタカナ語を交えられると、その文章自体がグレーで、何が言いたいのか理解できないという印象を受けることでしょう。

これは何も難しい漢字を含んだ熟語やカタカナ語、専門用語に限ったことではありません。若者が使っている流行語や、友達うちでしか通用しないような言葉も含まれています。このような類の言葉は、友達同士でのメールのやり取りや同世代の親しい人に手紙を書くときには問題ないでしょう。しかし、例えば論文のような公式な文章では避けなければなりません。

誰かに読んでもらうための文章は、ターゲットになる方に分かってもらえるように書かなくてはなりません。そのターゲットが老若男女問わず、幅広い方々が該当する場合はとりわけ、誰にでも理解してもらえるように分かりやすい言葉で綴ることが大切です。あくまでも、自分自身の真意を分かりやすく伝えようとする姿勢こそが大切なのです。

意外と見落としやすい…だからこそ大切な主語について

文章の構成を考えたり、一度書いた文章を見直したりする場合に、「起承転結」の順序で話が進んでいるか…といった全体に目を向けることが多々あります。しかし、文単位で見直して、分かりにくいものはないかを探し、分かりやすく修正、加筆することも大切です。

そもそも文とは句点から句点までを指し、文が連なって文章として成立します。つまり、各文の意味をはっきりと伝えることが出来なければ、読み手はそこでつまずいてしまいます。文章全体の構成を見直すことも大切ですが、一方で一文ずつをチェックし、間違いを直すことの積み重ねが、最終的に文章を読みやすくすることにもつながるのです。

では、文をチェックするとは具体的にどういう点に着目すれば良いのでしょうか。

何といっても重要なのが、文の基本構成である主語と述語が存在し、けして遠くない位置にあることです。例えば、以下の文を読んで見てください。

「今日の天気は朝からとても穏やかな小春日和であるが、昼くらいからどんよりした雲が広がり、徐々に天気は下り坂となり、ところどころで強い雨が降るほど悪くなり、明日は1日中雨になるそうだ」

この文の主語と述語は何でしょうか。主語は「今日の天気」だということが分かりますが、述語はというと、「雨になるそうだ」なのでしょうか。

そもそも主語と述語がセットになれば、その文で言いたいことが分かるようでなければ、相手には文の意味がなかなか伝わりません。先ほどの例文では「雨になるそうだ」なのは明日の天気であり、「今日の天気」は「悪くなり」ということになります。

この一文ですが、様々な問題点があります。

まずは、一文に対して主語と述語のセットと思われるものが2つ存在することです。そのことで、1つ目の主語に対する述語が分かりにくくなっています。

文を書く際には、主語と述語がワンセットになっていることがポイントです。複数のセットがあれば、どの主語とどの述語がセットなのかを読み手が検討しなければなりません。読み手に文の構成を考えさせてしまうと、文章の内容以外のことに気が散ってしまい、内容を理解してもらうことができなくなります。

次に、主語と述語の間がやたらと長いということ。これは文章を構成する要素の1つである段落や、ひいては文章全体に対しても言えることですが、やたらと複雑で冗長になると、読み手の混乱を招いてしまうことになりかねません。

やたらと長い文を見付けたら、意味の分け目で句点を使って分けることで、読みやすさが格段にアップします。先ほどの例文であればこのようになります。

「今日の天気は朝からとても穏やかな小春日和である。しかし、天気は昼くらいからどんよりした雲が広がり、徐々に下り坂で、ところどころで強い雨が降るそうだ。明日は1日中雨になるらしい。」

文はあまり長くなりすぎず、意味の分け目で区切ることで、読み手はリズミカルに、主語と述語は何かを深く考えなくても読み進めることができます。文の主語と述語をはっきりと分かりやすくすることが、相手に理解してもらえる文章にしてくれるのです。

文法を意識すれば、味わいが違う文章を書くことができる!

学生時代に英語の授業で細かく文法を習った経験のある方は多いのではないでしょうか。文法は文章を書く上で、絶対に必要な知識ではありますが、いきなり初心者の方が文法を駆使して、正確な文章を書こうと思うと、おそらく大半の方のペンは止まってしまうことでしょう。文法という細かい枠にとらわれすぎて、あまりにそればかりを気にするあまり、文章が頭の中から湧き出してこなくなってしまうのです。

先ほど例に挙げた英語に関しても、学校では細かく文法を習いますが、「実際に英語を使って文章を書いてみなさい」と言われると、どうしても文法のことが気になり、なかなか言葉が出てこないという経験をした方も多いでしょう。文章は話すように書くと、すらすら書けるといわれますが、文法ばかりを気にしてしまうと、どうしても頭でっかちになってしまい、ペンが先に進まなくなるのです。

そこで、文法については、ある程度、文章を書くということに親しんだ上で、より良い文章を書きたいという場合に頭に入れておくようにしましょう。最低限でも文法を理解しておくことで、文章の習熟度は大きく変わってくるのです。

例えば、助詞に「が」と「は」があります。例えば、「あの子は背が高い」とか、「山は雪が積もっている」とか…そういった形で使われます。この使い分け方に、基本的なルールはありません。ただし、誰もが知っているであろうこと、見て明らかなことを説明するときは「は」を使い、それでない場合は「が」を使うと言われています。

しかし、「が」に関して言えば、逆説的な意味合いの接続詞としても用いられます。「今日は晴れているが、明日は雨だ」といった場合です。この場合の「が」は「しかし」や「ところが」と同じようなニュアンスを持っており、思わず使いすぎてしまう傾向があります。とりわけ、この場合の「が」は逆説だけでなく、意表をついた順接でも使われることもあります。「私は青が好きだが、赤も好きだ」といった感じです。「が」には様々な使い方があるため、あまりに多用しすぎてしまうと、読み手がどの意味で用いている「が」なのかが理解しにくくなり、混乱を引き起こしかねないのです。「が」は適材適所で、使い過ぎないように注意することが大切です。

また、良く見受けられるのが「の」という助詞です。例えば、「私の服は赤色だ」という文は、すんなりと意味が吸収できるでしょう。しかし、「私の服の色は赤で、私の父の弟の服のボーダーの色は青です」というとどうでしょうか。「の」がやたらと続くと、一体結末は何だったのかが分かりにくくなります。「の」はそのものを特定していくために用いられますが、あまりに「の」が続くと、元々のものからどんどん絞り込まれて今に至るまでの過程も、読み手に理解を求めることになります。それだけで、細かい理解を読み手に要求する文章になってしまうのです。

このように、「が」や「の」といった一文字であっても、使い方にはコツがあります。そのコツを、いきなり理解して書こうと思うと、文章は思うようには書けないでしょう。しかし、ある程度文章を書くことに慣れてきたら、ちょっとした文法を文章の随所にちりばめてみることで、文章としての質はぐんと向上するのです。

単調なリズムの文章は飽きられる…語尾を意識して課題解消

どんな作業でもいえることですが、単調で、リズムが一定、それがいつまでも続くようだと、どうしてもすぐに飽きてしまいます。ルーティンワークという表現をされますが、飽きられると、そのものから心が離れてしまい、二度とは戻ってくれることはないでしょう。

それは文章に関しても同じことがいえます。単調で、同じようなことがダラダラと、とめどなく続いていると、読んでいても、すぐに飽きてしまうでしょう。飽きる文章というのは、自分自身がその内容に興味がないというだけでなく、実は興味があったとしても、単調でリズムがないと、読んでいてつまらなくなってしまうのです。

では、飽きられずに、最後まで関心を持って読んでもらえる文章にするにはどうすれば良いのでしょうか。それは、単調だから飽きるのであって、裏を返せば、リズムを変えることで、飽きられることはなくなるのです。そのためには、特に文章表現に技術が必要と言うわけではありません。ちょっとした工夫で飽きられない文章になるのです。

例えば、各文の語尾が一定になっていると、読み手は飽きを感じてしまいます。人間は一本調子になってしまうとすぐに飽きてしまいますが、何か少しずつ変化があると、リズミカルに興味を持つことができるのです。語尾を常に「である」で終わらせていると、読み手のリズムが変わらずに、やがてあくびが出て、読むのを止めてしまうでしょう。そこで、語尾を「である」だけでなく、「だ」や体言止めなどを上手く織り交ぜることで、単調なリズムを打破することが出来ます。

文末表現としては、先ほどチラッと触れた体言止めも有効な手法である。体言とはいわゆる名詞や代名詞を指します。体言止めとは体言で文を終えることを言います。例えば「雨上がりに感じる梅雨の蒸し暑さ。」とか、「週末にビールを飲む瞬間の至福のひととき。」などといったものです。

体言止めを有効に使うことが出来れば、読み手に余韻を残すことが出来ます。その一方で、体言止めばかりを使用していると、どこか舌足らずな文章に感じられるでしょう。何だかぞんざいな雰囲気も出てくることもあります。体言止めは余韻を残す程度に散りばめるのが一番であり、時おり、読み手のリズムを変えるのには効果があります。

最も忘れてはならないのは、文章とは相手に自分の主張を伝えることにあります。文末ばかりに気を取られてしまい、同じような表現はしないように…としていると、どうしても内容が薄くなってしまいがちです。文末表現には配慮する必要がありますが、伝えなければならない部分では断定的な表現にすることも大切です。

よく日本人の文章にあるのが、否定表現や受身、「もしかしたらそうかも…」程度の中途半端な表現です。しかし、これでは文章として自分の主張がなされていません。特に結論に関しては、きちんと断定する…つまり、「である。」とか「だ。」と言い切ることで、ここが結論であり、強い主張を表現することも出来るのです。

このように、文末表現をちょっと意識することで、文章は劇的に変わります。工夫すれば、読み手に飽きさせず、それでいて余韻も感じさせながら、自分自身の主張も伝えることができるようになり、文章としての意味をもてるのです。

あまり使わない方が良い否定や受け身などの表現

はっきりと自分自身の主張を伝えるためにあるのが文章です。文章を書くにあたって大切なのは、まず最初に言いたいことをズバッと指摘し、読み手の心に強く印象付けることです。そのためには短めに、かつ肯定文で書くことがポイントになります。

文章を書く上では、日本人特有の習慣は大きなマイナスポイントになります。その習慣とは、グレーゾーンを作るということです。これはあまり出しゃばらず、慎ましくするというと、日本人気質にピッタリで、美徳であるようにも聞こえます。しかし、文章では自分自身の主張をしっかり伝えることが出来なければなりません。特に結論の部分については、包み隠さず、真意を書くことが大切です。

きちんと結論を伝えるためには、否定や受け身の表現は避けるべきです。「起承転結」における「起」と「結」については、曖昧な表現は避け、真意をきちんと書いてこそ、文章は本来の意味をもたらしてくれます。

まず否定的な表現についてみてみましょう。例えば、次の文章を読んでみてください。

「私はこの問題については反対している。しかし、状況によっては賛成しないわけでもない。」

筆者はある問題に関して反対しているようです。ずはり反対と書いているために、読み手にも筆者の気持ちが伝わってくることでしょう。しかし、続く文は「賛成しないわけでもない。」と、否定的なフレーズが続きます。否定に否定を重ねた表現になっているわけですが、一目読んだだけでは賛成なのか反対なのかが分かりにくくなってしまいます。否定的に表現することで、意思表示が弱くなってしまうため、結論が相手に伝わりにくくなるのです。

また、受け身に関してはどうでしょうか。以下の文章をご覧ください。

「私は反対したいと思っています。でも状況次第では賛成に回るとも思われます。」

日本人の文章では受け身の表現が多く見られます。この文章の場合では、最後に「思われます」と記述しています。受け身の表現は控えめさを感じさせますが、一方では、まるで自分自身の本意ではなく、どこか他人行儀で、誰かによって意見を変えさせられたようにも聞こえます。

受け身の表現はあくまでも受動的なもので、自分自身の意思ではないというニュアンスが強くなります。最終的な結論として、受け身では自分自身の主張ではなくなり、読み手には強く伝わらないのです。

否定的な表現であえて直球勝負を避けるというのも文法的にはあるでしょう。また、受け身の表現で控えめさを出すのも、文法としては十分にあります。しかし、いずれにしても、本質から遠ざけてしまっているために、文章の中で何が言いたいのかが分かりづらくなります。

つまり、せっかく結論を読み手に伝えるチャンスであるにも関わらず、オブラートに包んでしまっては文章を書く意味がありません。真意を伝えるためにも、きちんと結論を真っ向から書いていく…相手に気持ちがストレートに伝わってこそ、上手い文章になるのです。

段落をコンパクトにすれば、より分かりやすい文章になる

文章はだらだらと、特に改行もせず、ぎっしりとただひたすら文字が羅列されていたら、かなり読みにくいものになるでしょう。適当に区切りを入れることで、見た目にも読みやすさが増します。

その区切りとして、段落が挙げられます。文章の中で内容を段落ごとに区切れば、それだけ読みやすさが高まり、読み手にとってもスムーズに内容を理解することが出来るようになるのです。

では、段落は適当に区切って、改行を付ければ、それで良いのかと言えば、そんなことはありません。ある程度の規則の下に段落を付けていかなければ、段落にしている意味が不明瞭になります。また、見た目は段落になっていても、内容がバラバラだったり、中途半端に話題が終わっていたりすれば、読み手はただただ混乱し、文章を読むという意欲すらも失ってしまいかねません。

では、段落はどのような規則で分けていけば良いのでしょうか。

まずは「起承転結」によって区切るというのが基本となります。「起承転結」にはそれぞれに意味があり、全体としては密接に連携しているのですが、内容には結論を書いていたり、具体例が書いていたりと違いがあります。まずはこの「起承転結」で段落を分ければ、最低4つの段落を作ることができます。

次に、それぞれの段落で内容をさらに細かく見ていきます。段落はそもそも話の転換や内容によって区切ると分かりやすくなります。基準として、1つの段落には1つの内容が書かれていること、そして段落の先頭には、その中で書こうとしている内容のまとめがあることが理想的です。

段落の中にいくつもの内容が盛り込まれてしまうと、読み手に理解しにくいという印象を与えます。読み手は段落が変わると、前の段落と結びつきを意識しながら、話の展開を追っていこうとします。しかし、同じ段落にいくつもの要素を盛り込むと、段落が意味を成さないものとなり、混乱を引き起こす元になるのです。

そこで、内容や展開を意識しながら、文章を区切っていくのです。読み手は新しい段落に入ると、話はどう進んでいくのだろうと、先への興味を呼び起こします。この興味こそが文章を読んでもらう上では大切であり、上手い文章に仕上がっているといえます。

文章を書く際、始めのうちはまずはあれこれと考えずに書いてみることが大切です。慣れてきたら、「起承転結」を意識するとともに、それぞれの中でどんな内容を盛り込むのかを考えましょう。その内容ごとに段落を区切り、見た目にも分かりやすくする…読み手に読んでもらいやすいように考えながら書き進めていくことが大切です。

また、あまりだらだらと長い文章は読みにくさの原因となります。それは段落という単位においても言えることです。長すぎる段落は意味がつながるように、手頃などころで区切りましょう。そうすれば、読み手は文章を目で追っていきやすくなるために、内容を理解しやすくなります。読んでもらいやすくなるように配慮するのも段落の特徴なのです。

接続詞も対象に…無駄を削ぎ落として、1文は短めに!

読みやすい文書というのは、無駄な言葉がなく、読み手にリズムを与えてくれるものです。一文一文がコンパクトに収められているにもかかわらず、そこに気持ちや真意が凝縮されています。そして全体としてまとまりがあり、読み手を納得させるものに仕上がっています。

もちろん、こういった文章はいきなり書けるというものではありません。何も考えずにさらさらと書いた文章は、後で読み返してみると、「ここは必要ないかも」というような部分が必ず出てくることでしょう。実際に書いた文章をもう一度振り返り、より分かりやすい文章を作るポイントの1つとして、無駄な接続詞を省くいうことがあります。

文章を書くにあたって、接続詞を使うケースは多いかと思います。一度書いた文章を読み返してみても、実際に接続詞を使っている部分がたくさんあるのではないでしょうか。例えば、「そして」、「しかし」、「ところが」などなど、接続詞は数多くありますが、中にはその箇所には適当でなかったり、必要とはいえないようなものもあります。

例えば、「そして」という接続詞があります。前の文章を受けて、さらに展開させていく…水先案内人のような役割を果たします。例えば以下のような文章があったとしてましょう。

「私は知らない街を歩くのが好きだ。そして、道端で見つけたカフェに立ち寄ることが多い。そして、そこでゆっくりとコーヒーを飲む。」

この文章を一目見ただけで、目に付くのは「そして」という文字でしょう。やたらと「そして」が繰り返されると、読み手からすれば、目障りであり、余計なことを考えてしまいます。石に躓いたような気分になり、やがて読むことに疲れるでしょう。

そこで、例文から「そして」の文字を削ってみましょう。

「私は知らない街を歩くのが好きだ。道端で見つけたカフェに立ち寄ることが多い。そこでゆっくりとコーヒーを飲む。」

この文章を書いた当初は必要を感じたのかもしれません。しかし、読み返してみて、「そして」がやたらと多いことに気がつき、それを削除してみると、実は意外とすらっと読める文章になる上に、当初、自分自身がイメージした内容と大きな差が出来ないはずです。つまり、「そして」という接続詞は、特段必要でないケースが多いということなのです。

無駄に多く使ってしまいがちな接続詞としては、「しかし」も挙げられます。

「昨日の雨はものすごかった。しかし、今日は打って変わっての晴天になっている。しかし、明日は雪になるそうだ」

上記の例文をみると、「しかし」が立て続けにあることがわかります。「しかし」は前の文を逆説的に捉えるとともに、その直後に自分の言いたいことを書くときに使いますが、この例文の場合、「しかし」を多用しすぎて、本当に言いたいことはなんなのかが分からなくなります。「しかし」の連発は、真意をつかみにくくしてしまう状況を生んでしまうのです。

「昨日の雨はものすごかった。今日は打って変わっての晴天になっている。しかし、明日は雪になるそうだ」

このように1箇所、「しかし」を削るだけで、「明日雪が降ること」を強調する文章が出来ます。そもそも、「打って変わって」と「しかし」という、ともに逆説的な表現が重なってしまっている…これもまた、文章としてあいまいさを生じやすくなってしまうのです。

以上はあくまでも一例に過ぎませんが、接続詞の中には、わざわざ入れなくても、文章としての意味は十分に通じると言うケースは多々あるのです。文章を見直す際には、無駄な接続詞を省いてみることで、心地よく、リズミカルに読むことができ、より洗練されたものにレベルアップさせることが出来ます。

とにかくまずは書いてみる…そこから無駄を削れば良い

文章を書く場合、事前にどのようなことを書くのか、しっかり構成を考えた上で、一言一句に気を配りながら、じっくりと書き進めていく…という方も多いかもしれません。ところが、構成どおりに文章を書いていこうとすると、そればかりに気を取られてしまい、本来の文章を各目的である何を読み手に伝えたいのかという点がぼやけてしまうことになります。

文章を書くのが苦手…と感じる方の多くは、まず原稿用紙やパソコンのワードパッドなどを前にして、何から書けばいいか、どのような順序で書けばいいかで悩んでしまい、どうしてもペンが止まってしまいます。そのうち、本当に書きたいことすらも分からなくなってしまい、支離滅裂な文章になってしまったということも多いのです。

そこで、文章を上手く書くためのポイントとして、まずは構成などを考えず、自分自身の思いや考えなどをつらつらと書いてみることが挙げられます。どのように書き進めていくと分かりやすいだろうかということを考えるのではなく、「自分はこれから、なぜ文章を書こうとしているのか」、「相手に何を伝えたいのか」ということをしっかり念頭に置いたうえで、結論やその結論に至ったエピソードをとにかくつづっていくのです。

このように書けば、文章が出来上がった時点で、脈略のないものになっているのではないか…と心配されるかもしれません。もちろん、この段階ではあくまでも思いや考えをつづっただけの文章になっているので、ある程度見直していく必要があります。

そこで、もう1つのポイント。それは、まずはどんなに長くなってもいいから、とにかく自分の考えを相手に納得してもらえるように、結論からエピソードをつづっていくようにします。これだけ、後で読み返してみた場合、重複するような事柄が含まれている場合もあるでしょう、だらだらと長くて、読み返してみたときに、飽きを感じてしまうこともあるでしょう。見直しを行う際には、このような点を整理整頓し、すっきりと筋道の立った文章に仕上げていくのです。

先ほど、「どんなに長くなってもいいから」と書きました。それは、文章を組み立てる上では、後で何かを付け足すよりは、最初に長く書いておいて、要らないものを省いていく方が、文章として成立させやすくなるということなのです。

実際に自分の書いた文章を読み返してみて、「言いたかったことをすっかり忘れていた」と文章を付け足したとしましょう。ところが、付け足した文章は周りから見れば、何となく宙に浮き、前後の文章とつながりを持つことが難しくなってしまいます。また、書き漏らしを次々と書き足していると、ただ単にだらだらと長い文章に仕上がってしまい、本当に言いたいことがぼやけてしまいます。

文章を上手く仕上げるためには、まずはとにかく書いてみること、そして出来上がった文章で不要なものを削っていくことで、必要なものを残して、手ごろな長さの文章にしていくこと…後で付け足すよりは、まずは書いてみることが大きなポイントとなるのです。

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