読みやすい文書というのは、無駄な言葉がなく、読み手にリズムを与えてくれるものです。一文一文がコンパクトに収められているにもかかわらず、そこに気持ちや真意が凝縮されています。そして全体としてまとまりがあり、読み手を納得させるものに仕上がっています。

もちろん、こういった文章はいきなり書けるというものではありません。何も考えずにさらさらと書いた文章は、後で読み返してみると、「ここは必要ないかも」というような部分が必ず出てくることでしょう。実際に書いた文章をもう一度振り返り、より分かりやすい文章を作るポイントの1つとして、無駄な接続詞を省くいうことがあります。

文章を書くにあたって、接続詞を使うケースは多いかと思います。一度書いた文章を読み返してみても、実際に接続詞を使っている部分がたくさんあるのではないでしょうか。例えば、「そして」、「しかし」、「ところが」などなど、接続詞は数多くありますが、中にはその箇所には適当でなかったり、必要とはいえないようなものもあります。

例えば、「そして」という接続詞があります。前の文章を受けて、さらに展開させていく…水先案内人のような役割を果たします。例えば以下のような文章があったとしてましょう。

「私は知らない街を歩くのが好きだ。そして、道端で見つけたカフェに立ち寄ることが多い。そして、そこでゆっくりとコーヒーを飲む。」

この文章を一目見ただけで、目に付くのは「そして」という文字でしょう。やたらと「そして」が繰り返されると、読み手からすれば、目障りであり、余計なことを考えてしまいます。石に躓いたような気分になり、やがて読むことに疲れるでしょう。

そこで、例文から「そして」の文字を削ってみましょう。

「私は知らない街を歩くのが好きだ。道端で見つけたカフェに立ち寄ることが多い。そこでゆっくりとコーヒーを飲む。」

この文章を書いた当初は必要を感じたのかもしれません。しかし、読み返してみて、「そして」がやたらと多いことに気がつき、それを削除してみると、実は意外とすらっと読める文章になる上に、当初、自分自身がイメージした内容と大きな差が出来ないはずです。つまり、「そして」という接続詞は、特段必要でないケースが多いということなのです。

無駄に多く使ってしまいがちな接続詞としては、「しかし」も挙げられます。

「昨日の雨はものすごかった。しかし、今日は打って変わっての晴天になっている。しかし、明日は雪になるそうだ」

上記の例文をみると、「しかし」が立て続けにあることがわかります。「しかし」は前の文を逆説的に捉えるとともに、その直後に自分の言いたいことを書くときに使いますが、この例文の場合、「しかし」を多用しすぎて、本当に言いたいことはなんなのかが分からなくなります。「しかし」の連発は、真意をつかみにくくしてしまう状況を生んでしまうのです。

「昨日の雨はものすごかった。今日は打って変わっての晴天になっている。しかし、明日は雪になるそうだ」

このように1箇所、「しかし」を削るだけで、「明日雪が降ること」を強調する文章が出来ます。そもそも、「打って変わって」と「しかし」という、ともに逆説的な表現が重なってしまっている…これもまた、文章としてあいまいさを生じやすくなってしまうのです。

以上はあくまでも一例に過ぎませんが、接続詞の中には、わざわざ入れなくても、文章としての意味は十分に通じると言うケースは多々あるのです。文章を見直す際には、無駄な接続詞を省いてみることで、心地よく、リズミカルに読むことができ、より洗練されたものにレベルアップさせることが出来ます。